「少しくらい善業をしただけでは不退転菩薩や阿羅漢たちと一緒の世界に行けるはずがない」という前提で一心不乱の念仏こそ唯一の救いの修行と説く阿弥陀経。 これに対して、凡夫を三段階にわける無量寿経、さらには菩薩の往生、比丘の往生も含めて善人、悪人の往生まで九段階に分けて説く観無量寿経は「少しくらいの善業による格差」を説明してしまっていて、阿弥陀仏の救済の平等性を常識的な因果応報へとトーンダウンさせてしまっています。 Rss Apple Podcaster →