本日のテーマ:「西遊記のモデルは超人的な研究者だった!?玄奘の真実」西遊記の三蔵法師のモデルとして有名な玄奘。しかし実際の彼は、お供も連れず密出国をしてまで単身インド(天竺)へ向かった執念の研究者でした。過酷な旅と、真理を追い求めたその凄絶な人生に迫ります!👇今回の見出し👇玄奘/西遊記のモデル/渡航禁止令と密出国/翻訳の質への疑問/サンスクリット語の原典/完全スルーされた請願/長安からの脱出/ゴビ砂漠の悲劇/4日間水なし/天山山脈とパミール高原/ナーランダー大学/最高峰の論師・戒賢/18日間の公開討論会/経典675部/17年ぶりの凱旋帰国/皇帝・太宗の大歓迎/国家プロジェクトの翻訳事業/大唐西域記/還俗の拒否/ブレない研究者魂👇抑えるべきポイントと歴史の流れ👇①なぜ玄奘はインド(天竺)を目指したのか?当時の中国に伝わっていた仏教経典は翻訳の質にバラつきがあり、意味が正反対になっている箇所すらありました。それに疑問を抱いた玄奘は、「サンスクリット語の原典を直接読むしかない」と決意し、渡航禁止令を破って密出国を強行します。②想像を絶する過酷な旅路最初の難関であるゴビ砂漠では水を失い、4日間水なしで歩き続けて死にかけました。さらに雪山などの険しい道のりで仲間を失う過酷な環境でしたが、玄奘は決して引き返さず、約2年をかけてインドへ到達しました。③帰国後の大熱狂と圧倒的な翻訳作業経典675部や仏像を背負い、出発から17年後に長安へ帰還しました。密出国者でありながら、当時の皇帝・太宗から大歓迎を受けます。その後は皇帝からの出世の誘いも断り、生涯をかけて75部1335巻もの経典を翻訳し続けました。■ 関連年表602年ごろ: 現在の中国・河南省に生まれる629年: 渡航禁止令の中、長安を密かに抜け出して天竺を目指す645年: 膨大な経典を持ち帰り、長安に凱旋帰国(出発から17年後)664年: 死去(62歳ごろ)🙏番組へのご協力のお願い少しでも「勉強になった!」「面白い」と思っていただけたら、フォローやレビューをいただけると大変励みになります!🗣️聞き流し偉人伝からのお知らせチャンネルの品質アップ及び永続的な運営のため、サポーターを募集しております。3ドル(約450円)からサポートいただけますので、ぜひ応援いただけますと幸いです。【サポーター特典】・サポーター限定配信・活動進捗の共有配信・サポーター限定コミュニティーへの招待(予定)▼下記からサポーター登録いただけます!https://www.patreon.com/c/ijinden/posts▼聞き流し偉人伝のWebサイトはこちらhttps://kikinagashi-ijinden.web.app/更新日時: 月・火・木・金曜日の18時に更新中。Hosted by: 安藤 and 那須(https://twitter.com/nasutokai)※内容は諸説あります Rss Apple Podcaster →