若い頃、聖書を読んでそのどこにも珠玉のような言葉が満ちあふれていることにビックリしたことを思い出します。まさに神の言葉なのでしょう。 その中に、普段は穏やかなイエス・キリストが怒りに燃えることが書かれています。それは「神を心から信じるか、それとのよい子のフリをするためか」が問われる場面で、腐敗した祈りの場などがそれにあたるようです。 聖書のその場面に強い印象を受けた私は、その後、なにか自らの学問や教育の信念に反することが目の前で行われているのに、腹が立たない自分を情けなく思う.. Rss Apple Podcaster →