ボクらのような小さなカフェはなかなか見つけてもらえず、やがては、忘れ去られ、そして存続できなくなってしまうのではないか。「寄付」という形でもいいから、資金を補填することで。ボクラは存続できないでしょうか。

そんな、ため息が影山くんから語られ、ボクもごちょごちょと言っています。ます。これを見た多くの人達が、CAFEの店主がなぜ、募金のようなものを言い出すのか。きっとちんぷんかんぷんでしょうから、そのことについて、ここで解説します。(もっとちんぷんかんぷんになるかもしれないけど)


カフェは開かれた場所です。あらゆるヒト、街、社会に開かれています。まさにOPEN CAFEです。

空き地や広場に集い、お茶を飲む。それがCAFEであると。たしかに、そうです。なんとはなしに集まったヒトたちとの予期せぬ出会いがある。それはとてもロマンチックです。

そのロマンがボクや影山くんを毎日お店に立たせている。日々の糧なのです。

さて、ほとんどのお客さんは、ボクらがやっているOPEN CAFEにだけアクセスし、ボクらを、美味しいだのまずいだの、高いだの安いだのと、評価したりしているのです。

だけど、実はね。

マメヒコやクルミドコーヒーの奥には、秘密のお店が奥にあるのです。それをCLOSED CAFEと呼んでもいい。奥にひっそりとその入り口が隠されているんですね。

扉を秘密にしているのには、わけがあります。

ボクらはそのCLOSED CAFEで、そこに関わってくれたヒトたちと、互いの関係を慎重に、時間をかけて築いているからです。


その扉を開けていい条件はひとつ。

お店もお客も、心理的な境界線を取っ払うことです。ボクらスタッフは、お客さん個人の気持ちに寄り添うこと。そして、お客さんもおなじ、ボクらお店のスタッフの気持ちに寄り添わなくてはいけない。

けして、そんなことしてなんの意味があるの?そんなのおかしいよ、あんなのおかしいよと、やいのやいの指摘しないこと。

イヤなら出て行け。それがCLOSED CAFEの約束です。

少なくともボクは、OPEN CAFEとCLOSED CAFEの二つの扉を、出たり入ったりして、長いことマメヒコをやってきたのです。

影山くんもボクとアプローチは違えど、似たような思いでCLOSED CAFEをやっている。それは、けして偶然ではない。


商店街がスーパーマーケットになり、あらゆるものがコンビニ化した現代に、これはおかしいと感じているヒトがいるからです。

孤独を感じているヒト、変化についていけてないヒト、もっと面白く生きてもいいでしょうワタシ!!と叫ぶヒト。

彼ら、彼女たちと関係を育むためには、扉はあえて秘密にしなくてはいけないのです。

人間関係が解体されたヒトの受け皿として、ボクらはCLOSED CAFEをやっているのです。完全にCLOSEしたほんとの秘密ではだめで、OPEN CAFEとCLOSED CAFEの両方の扉の鍵を握っている人間こそが、期待されていると自負しているのです。

けれど、いくら社会的意義をもち CAFEを営んでいると言っても、所詮はCAFEなのです。

ボクラの活動や意義をつまびらかにし、たとえば助成金のような公的資金で運営することは、CAFEの意義から外れてしまうのです。それでは、役所の作った組織と変わらなくなる。

かといって、OPEN CAFEも、それを回すだけでも、かなりのエネルギーが要る。いまのところ、そこにいる人達の力技で、なんとかやっていけてるだけです。

さて。いつまでその力技が持つんだろう。

そんなため息を、ボクらは気持ちが萎えたとき、つくんですね。

だけどボクはこう思う。

なにごとも思いを形にするには、スケールとスピードを選ばなくてはならないと。つまりはビジネスセンスが必要だと。

かたちなんてどうでもよくて、如何様にも変化させながら続けていけば、やがてどっかですこんと抜けるはずだろうと。

そう。時代がボクラに追いつく日は近いんじゃないかしら、なーんてと、楽観視はしているんだけどね。

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